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昨日日記を残せばよかった、という強い後悔をしている。

というのも、昨日抱いた大きすぎる幸福感は、今もそのまま幸福感として心に残っているけれど、

輪郭がくっきりとしていた昨日のものとは変わって

淡いものへと変わってしまった。

 

幸せって時間が経てばたつほど、きちっと言語化するのが難しくなってしまうものだから

せめてもの今日のうちにこの幸せを記録しておこう。

 

簡潔にいうと、自分が住んでいる区がより一層大好きになった、という話。

 

昨日の夕方は初めて訪れるコーヒー屋さんに訪れた。

彼が頻繁にリモートワークをするためにお世話になっているところで

コーヒー屋さんとしてものすごく珍しいのが、隣に子ども園が併設している。

そもそもそのコーヒー屋さんは子ども園の経営のもと、そこに立っている。

 

先週、そのこども園で彼は得意のたこ焼きを子どもたちに振る舞ったらしい。

興味津々に焼いているところをのぞく子どもたちの写真を見たり

子どもからの可愛らしいお礼のお手紙を見せてもらったり

それに対する彼の愛ある感想を聞いたりしてそれだけで私も心満たされていた。

 

月曜日の午後、彼はその日もそこで仕事をしていて

「よかったら寄ってね〜」と言ってくれていた。

 

月曜日は自分のしたいことを思いっきりする日だ決めているので

少し街に出かけ、働いている叔母とお話をし、好きなお店でお茶をした。

図書館にいって本を漁って、今まで行ったことのなかったお店でその日2回目のお茶をした。

そんなふうに携帯も見ずにのんびりと過ごしていたから、

気づけば夕方になってしまっていて、まあスーパー寄って直接彼の家に戻ればいいかあと思っていたら

再び「カフェきてね〜」との連絡。

もうとっくに帰宅していると思っていたから、「あらまだいたの」と思いつつ

そのカフェに(少しけだるく)立ち寄った。

 

そのときのけだるさをものすごく後悔した。

 

だって、そのカフェ、まさに私にとって理想郷だったから。

 

私と同い年の女の子が店長をしていて、もう一人これまた同い年の男の子がギターを抱えていた。

お店に入ると温かく迎え入れてくれた。

 

思っていたよりも、スタッフさんとの距離が近く

あ、彼が私にきて欲しかった理由、、、行くまで全く気がつかなかった。

 

彼とスタッフのお二人はものすごく楽しそうに話しているし

初めましての私にも大変気さくにお話をしてくれるし。

驚いたのはここから。

 

お仕事帰りのスーツのおじさまがきて

カウンターで店長さんと楽しそうにお喋り、

そしてその後「合格しました、、、!!!」と嬉しそうに報告に来て

ビールを買って帰ったお兄さん。

 

子ども園の事務所のお姉さんも「お疲れ様です〜」とお決まりの飲み物を選んでいたよう。

それから子ども園の帰りのキッズたち、お迎えのお父さんやお母さんが

リンゴジュースと冷たいコーヒーを買って帰ったり

カフェに寄らなくても、キッズが窓の外からのぞいて

スタッフのお兄さんもそれにすぐにバイバーイと大きな笑顔で手を振ったり。

 

あのエリアを行き交う人、特に子ども園を利用する人も含めた周辺の人たちの

まさに「憩いの場」「交流の場」になっていた。

 

スタッフさんの子どもに対するニコニコ笑顔に癒され

大人に対してきちんとお礼を言えることもの姿に感動し、

自立した子どもが伸び伸び育つ子ども園の環境と

笑顔溢れる地域コミュニティ構築の場になっているカフェと

あの場所がいかにして成立しているかが立ったの1時間ほどの滞在でよく見る事ができた。

 

文にしてしまうとなんだか無機質な感じがするけれど

言葉じゃ到底表せない愛の形がそこには存在していた。

これを昨日の感情のまま言葉にできればもう少し良かったのだけれど。

 

今までに味わったことのない幸福感で

あぁこういう場所をつくつことを実践している人たちってなんてかっこいんだろうと心の底から思った。

先週は東京を離れて綺麗な空気の吸いながら、静かな夜を過ごしていて。

明るいネオンや大通りを通るトラックの音や排気ガス、駅の中の人だかり、

ああやっぱり東京はダメかもしれない、と東京アレルギーを発症しかけていた。

 

でも、こんな素敵なコミュニティが存在している区なんだ、と知って

こういう温かい場所が近くにあるのならば是非とも子育てをしてみたいと思えた。

今住んでいる区は

小学生の時にとにかく買い物に行きたくてそのために中学受験の志望校をここにしようと考えていたところ。

中高の時、友達とも一人でも何度も何度も遊びに行ったところ。

大好きなアイドルのコンサートに来たところ。

高校3年生の時、毎週木曜日、塾に通いに来ていたところ。

ちょうど1年前に離れた、愛と優しさに包まれながら仕事をさせても立っていたところ。

学生時代から今でも変わらずピクニックをたくさんして過ごした公園があるところ。

大好きで何度も通いたいお店がいくつもあるところ。

今、愛おしい生活を送っているところ。

 

きっと何か、昔からの強い縁があるところな気がしている。

東京にいるのであれば、これからもこの区にお世話になれればいいなあ。

 

 

 

そして、話が大きく変わるけれど金曜日の日記も。忘れないうちに。

 

朝、仕事で買い出しに外に出ていた時に

道に、横たわっている雀がいた。

 

小さく、美しく、切なく。

雀はきっと、死んでしまっていた。

 

救うことも片付けるとこもできず、一日胸に突っかかっていた。

 

心に突っかかりがありながら働いたその日は

いつもにまして色々なお客様がいらっしゃった日で

いつも以上にやさしくいられる自分がなぜかいた。

 

雀のために?わからないけれど、なんとなくそうやって

朝見た雀に捧げたい気持ちが根底にあった。

 

朝に見た雀の死。

 

夜にもう一つ、死の知らせがあった。

 

父からのおばあちゃんがその日のお昼、91歳の誕生日その日に亡くなってしまったそう。

 

その数日前から、おばあちゃんの具合が悪いという話は母から聞いていたし

年齢も年齢だったので、酷く驚くことも酷く悲しむことも正直なかった。

ただ、やはりこの時期だから、きちんと最後のお別れができないことは悲しいことだ。

 

おばあちゃんは私が物心ついたことから、少し弱っていたような気がするし

ここ数年会うことさえできていなかったから、

今悲しいと深く思えていない自分の心がなんだか一番悲しい。

 

でも、雀が何かを伝えてくれていたのかな、そんなふうに考えさせられた1日だった。

 

自己満足に過ぎないけれど、

今会えない人のために、その気持ちを表現するためには、

今会える人、近くにいてくれるひとに精一杯の愛を表現する、優しさを行動に起こす。

 

これくらいしかできない。

 

おばあちゃん、どうにか天国で安らかに過ごしてね、

久しぶりにかっこいい素敵なおじいちゃんとゆっくりおしゃべりしていてね。

私の大切なお父さんを、素敵なお父さんにしてくれてありがとう。

 

私の大切なお母さんとお兄ちゃんにも会いに

何時間もかけてアメリカにいてくれてありがとう。

 

 

 

 

こんなふうに書いていたら、今はもう

9月の夕方。秋の夕方だ。

 

9月の大気は暦をわきまえているのか、一気に涼しくなった。

この涼しい空気感。

大好きな季節が近づいてくる。

 

本を読むことに集中できる秋も

大好きなコートに身を包む冬も

街が煌めくクリスマスも、、、

ああ書いているだけでわくわくしてきてしまう。

 

そして今年の9月に深く思うこと、

今の職場に受け入れてもらってから一年がたった。

あっという間だった。

これでいいのかなと思ってしまうほど、まだまだ足りない部分が多すぎるけれど

それでも自分なりにやりたいことを目一杯してくることはできた。

 

そして9月になったということは、お仕事の山場でもある。

 

月、火、幸せな連休を過ごし、充電がたっぷりできた、

 

山場、楽しく乗り切ろう。いろんな人に楽しんでもらえる一週間を。