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2020年の半分が、もうすぐ終わる。

 

表向きでは、年齢や年月なんてただ数字、関係ない!そんな態度をとっていたい自分がいる。

 

だけど実は昔から私は、時間の区切りを本当に大切にして生きてきた。

きりが悪いものが嫌い、というところからくるものも大きいんだけれど。

 

たとえば、ちいさいころから起きる時間は絶対に、5時、とか、7時とか

ぴったりの時間でないと嫌だった。せめてもの~時30分。

本当に不思議で今は理解できないけれど、30分を過ぎてしまうと、00分に次は起きる、という不可解な習慣ももっていた。(寝起きがいいのであまりなかったけれど)

さすがにそこまでの過剰なこだわりは今は払拭できたけれど、それでも常にきりのいい時間の管理の仕方をできるだけしたいと思いながら生きている。

 

あとは例えば、誕生日や正月の前日。

必ず儀式を行う。

爪や前髪を切ったり、毛の処理をしたり、普段しない保湿のケアをしたり。

~歳の自分ありがとう、だとか、~年の私の掃除をしないとね、

そんな心持でできるだけ隅々まで自分をきれいにする、そんな儀式を必ず行う。

そして2018年の頭からこの日記を書き始めてからは

1年の終わりには必ず1年分の日記をすべて読み返す。

年の終わりに限らず、何かの節目があればその度毎に自分が記したものを読み返す。

 

月の終わりに、読んだ本をまとめたり、とにかく

節目に節目らしいことをしたい、このこだわりは小さいころからもうすっかりわたしのものになっている。

 

ただいつも書いている日記がを書く日がこれまで6月末日に当たることはなかったんだ。

今回この日に当たることが初めてで、今、2020年半分を丸ごと振り返りたい、そんな気持ちになっている。

 

本当に、2020年は今までのどの年とも比べることのできない、

手足を縛られていた、タフな半年だった。

 

自分自身の選択や自分の生きる小さな環境の中で

もがき苦しみ悩み泣き、そんなときは今までにあったけれど、

今年のこの状況は、とにかく自分ではどうにもならない外側からの圧力をかけられ続けている、そんな時間だった。

 

それでも、外から制限を受けて自由な身動きをとれないそんな環境の中では

いい時間を過ごすことができていたと思う。

 

「たのしかったーーーー!」

「またあの頃に戻りたーい」

そういう感覚の充実度や楽しさとは縁遠いものだけれど、

コロナで自粛を初めてある一定期間がたって、一段階目の悟りを開いた時から

何かが解けて物凄く楽な気持になった。

楽な気持ちも出し、

自分にもじっくり向き合う時間もそう。

自分にとって必要な時間をたっぷり与えてもらえた時間だった。

 

何度も思ったり書いてきていることだけれど、

ほんとうにしたいこと

ほんとうにあいたいひと

ほんとうにむきあいたいこと

自分と向き合わざるを得ない時間をたくさん与えられたことで

こういうことが明確になった。

 

普段から、普通の人よりはそういいうことをわかっているつもりではいたけれど、

なんとなく今、この時間を与えられたことはすごくよかった。

 

どんなタイミングかというと

したい仕事に着けて、全力で駆け抜けてきた数か月を経て落ち着いてきた時期。

長く付き合っていた恋人と別れて一人で強く生きられるようになった時期。

崩していた体調も大体落ち着き人波に働きに外に出られるようになった時期。

20代半ばに入り、目の前のことだけじゃなくもう一歩先のことも考えながら生きたいなと思っていた時期。

 

目の前のことにいっぱいいっぱいになっていた時期からひと段落が付いた時期だったからこそ、ゆっくり、じっくり考え事をしたい自分がどこかにいたのだと思う。

 

得るものは本当に多かった。

家にいてできることが限られる分、状況が変わったときにしたいこともたくさんリストができたし、

逆こういう状況にも対応できる動きを含めて将来のことを考えないといけないんだなと学んだ。

 

コロナがよかったなんて口が裂けても言えることじゃないけれど、

この状況なりに、自分の過ごし方にはなかなかの高得点をあげたいとおもう。

 

(ただ、ひとつだけたれればを。)

4月にイベントをしていた。

きっとみくちゃんとも上半期の内に仕事を作れていた。

家族でオリンピックの試合を見に行き

それが終わってすぐイギリスに飛んでいた。

大好きな友達やパパ・ママにもあっていた。

はじめてのエディンバラにもいっていた。

じぶんなりにときめくものを買い付けて

おかしと雑貨のポップアップを9月に行っていた。

すこしは友達以外の方からも発掘してもらえるようになっていた。

 

そうだったかな?

 

あくまで、たられば。

 

これは言っても仕方のないことだからね。

 

こんなことをねちねちかいてしまったけれど、

それをも覆す、本当にうれしいことがあった日だった。

 

コロナ禍でただただ抱いていた一つのねがい。

おばあちゃんに会いたい。

ただそれだけだった。

 

それを無事に、果たすことができた。

 

11月に最後に新潟に行って、寒い冬を超えて

3月1日に新潟規制を予定していた。

ただこのあたりから世の中が不穏な空気に包まれるようになって移動は慎んだ。

そこからここまで、本当に長かった。

 

あまり考えないようにはしていたけれど、

もしも次あうとき、私を忘れていたら

もしももう、次あう時が来なかったら

こんなことかくだけで泣きそうになるけれど、

どちらも大丈夫だった。

 

うれしそうにしてくれる姿が本当に嬉しかった。

 

日々いろんなことを考えるけど

この間ツイッターでこんな投稿を見た。

「まわりは忘れていることを悲しんだりさみしんだり憐れんだりしているけれど、

本人はしあわせなのかもしれないよ」

これをみたときに心がふわっと軽くなった。

 

自分たち周りの人だけが、なんだかかわいそうに思っていた。事実だったと思う。

でも、おばあちゃんが幸せかどうかはおばあちゃんが決めること。

おばあちゃんの「今」が幸せであるように。これをただひたすらこれからも願おうと思った。

 

そんなことをみたあとでの訪問だったから、笑顔のおばあちゃんに会えたことが素直にうれしくてうれしくてたまらなかった。

 

そして。めぐりめぐって、やっぱりおばあちゃんのために家庭を築くという報告をできるようにしたい。と思った。

 

もともと、おばあちゃんや両親が喜ぶために結婚ができたらいいなと思っていて

でもそれって、自分のためじゃなくておかしくない?と思うようになって。

 

でもやっぱり兄やいとこの結婚の話で喜ぶおばあちゃんの顔を見ると、私もそういう風におばあちゃんを喜ばせたい、と思った。

うん、言葉じゃこれに関してはうまく書き合わせないけど、

おばあちゃんのためにそう思うことだって、全然悪くないことだなって巡り巡って思うようになった。だってそれは結局自分の喜びのためであるから。

 

こんなことを話すのは照れ臭いけれど、

こうおもったことを次の週末、きちんと彼に話してみようとおもう。

 

結婚の圧をかけたいわけではなくて、私の考え方や家族の背景をもっと深く知ってもらいたい。

大切なおばあちゃんがいることはしつこいくらいにすでに話しているけれど

おばあちゃんの幸せが私にとっての大きな幸せなんだって、この気持ちを共有して、理解してもらえたらうれしいな。

 

そう、この上半期を総じて本当に印象的で幸せな出来事の一つは

その彼と近くにいられるようになったこと。

天使のように優しくて、

正直で誠実で素直で朗らかで

まじめな時にはきちっと話を聞いてくれるお兄さんであり

だめなときには包み込んでくれるひと。

おいしい食卓を二人で作ることが本当に楽しいんだ。

 

2020年は19年の終わりには全く想像をしていなかった方向に進んでいる。

 

いい意味でね。

 

物凄く大きな幸せと愛に包まれている。

これからやりたいこともたくさん。

 

上半期のお礼もきちんと神社に伝えに行けたし、

下半期も、予想ができないくらいいい方向に、たとえ大変なことがあったとしても進ませていけるといいな。

 

 半年後には、何を語っているかしら。