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感情の起伏も体調の波も、激しい一週間だった。
終わってみて、今は本当に穏やかで幸せな時間を過ごしているけれど。
木曜の夜、まあまあ慣れている頭の痛みから、次第に強い吐き気を伴う脈打つ頭痛に変化した。
薬を飲んで、なんとか眠りについた。普段はこうやってなんだかんだ過ごしては、朝には快復して目覚められている事が多い。しかしこの金曜日は頭痛とともに朝を迎えて、朝ごはんを食べ進めれば進めるほど、夜以上の痛みや倦怠感に襲われ、身動きが取れなくなってしまった。
歩く勇気もでず、家から出られないままお仕事のお休みをいただいた。
そのあと2時間後くらいに落ち着いてから、家の近くにある病院に行った。
初めて行った病院だったけれど、優しいおじいちゃん先生に本当に救われる診察だった。
検査についてくれるおじいちゃん1は、CTをとる前に「ゆっくり休む時間だと思ってね〜」と優しいひと言。この言葉に、涙がじわっと滲み、堪える事ができなかった。
世の中の他の人と比べれば大して疲労も苦労もしていない。
けれど自分なりには、世間的な自粛期間が明けて、刺激の多い毎日に投げ返されたような生活に戻り、小さなストレスが溜まっていたんだと、この時に気がついた。
2週間くらい前の日記にも残していたけれど、完全にうつモードに入ってしまっている、いまのわたし。
いや、少し違うかな。うつモードと平常モードの境を彷徨っているかのような。
ほんの少しの一押しがあればうつモードに転がってしまう、その狭間でここ最近は過ごしていた。まるでコップの水が表面張力でなんとか耐えて、あと1滴降りかかってくればそれまでの全てが溢れかえってしまうかのような。
そんな状態にいた私に降りかかってきたおじいちゃんの優しい一つの言葉。
「ゆっくり休む時間」
普段人よりそういう時間は取っているのはわかっているけれど、
それでも、今の私には意識してゆっくり休む時間が必要だったんだとその時出た涙で気付かされた。
おじいちゃん2(こちらが主治医)もこれまた本当に優しい方だった。
小さい頃、病院に行くと、おじいちゃん先生に怒られる事がなぜだかすごく多くて
おじいちゃん先生に勝手な拒絶の気持ちを抱いていたことを本当に反省したい。
その先生は、ゆっくりと話をしてくれて、私の話もゆっくりと聞いてくれた。
辛い時でもすぐに薬を飲んでいないって話をすれば、褒めちぎってくれる。
大変だねえと、温かい眼差しで共感をしてくれる。
そしてなぜだか中学生から大学生までの過ごし方もまるで占い師のように当ててくるおじいちゃん。
しばらくはまたかからずに済めばいいなあと思うけれど、それと同時にあの先生の優しさにも触れたいなあと思う。
おかげで激しい頭痛からは解放された。
けれど、言葉にはできないモヤモヤも心の中でいっぱい溜まってしまった1週間でもあった。
体が思い通り動かないこともそうだし、こういう体質や性質を理解されづらいもどかしさもある。なんだか人から返ってくる言葉が期待しているものと違う時、とかね。
もちろん理解してもらって優しくしてもらおうなんて横柄なことは一切思っていないけれど、
日に日に、自分が思うように、感じるように、他の人はそうはしないんだと強く実感していく毎日だ。
どうしようもないけれど、何か違う、何か違う。何かはわからないけれど、何かから解放されたい。ただそれだけなのに。
耳の不調や頭痛⇨身体を思い通りに動かせないことによる落ち込み⇨精神面の不調⇨倦怠感から動けない⇨めぐりが悪くなる⇨耳の不調や頭痛の不調
この永遠ループだ。
少し前まで抜け出せていた私は誰?
去年ここに越してきてから5月末までは、時々体調を崩す事があっても、悪くてもこの1ループをすれば「ハッピーりさちゃん」に戻れていた。最近はただただ、何巡も何巡もこのループを繰り返している。
しばらくは抜けられる気もしないから、抜けようとも思わない。
この無力感に襲われている中、救いの手を差し伸べられる機会は多くあった。
一つは自分自身でその機械を作った。
最近とにかく、何をしても達成感や生きがいみたいなものを感じる事が難しくて、
前と同じ仕事をしていても、感じていた充実感がなくなったしまった。
これは仕事や周りが悪いわけでは一切なく、純粋に自分の感じ方が少し鈍って歪んでしまっているせいだ。
前は仕事場にいて、自分だからできることをやっている実感を得ていた。
でも今は、なんだか違う。
自分がそこにいる意味がない気がするし、
(本当に自分の感じ方の問題です。仕事場を責めたい気持ちは一切ありません)
本当に嫌な言い方をすれば、自分がいる意味が本当に分からなくなっている。
貢献とか存在意義とか、そういうものが一切分からなくて、それもまた負のループに追いやってくる。
だから少しでも、自分のいる意味とか
何かに貢献できることを感じたくて
久しぶりに寄付をするために髪の毛を思い切って切り落としてきた。
私が勝手に社会を遮断しているだけだけれど
久しぶりに世の中とつながっている気持ちになれて、少し救われた。
ここ2年はしばらく髪の長い人だったから、しばらく周りからの反応が少し煩わしいかもしれないけれど。
軽くなって、新しくなった、少し嬉しくなった。
そりゃ長い髪が似合うことは自分で重々承知しているけれど、似合い不似合いのためにやっているわけじゃないし。
また次は2年半後かな。27、28歳になっている頃。
誰かのためになれるように大切に髪の毛を
http://lilybells18.hatenablog.com/entry/2018/01/28/061046
髪を切って、帰宅をすると
頭を撫でてくれて、
夕飯を喜んで食べてくれる人がいる。
この人といるときは、自分が穏やかで優しくいられる。
今書いているような、ゆううつな気持ちは全く忘れてしまっていたほどだ。
髪切って、友達とお茶して、スーパー寄って、帰宅をしていた時に考えていた事がとても幸せだったんだ。
自分がやさしくいられる人と一緒にいるのが一番いいなって。
昔の恋愛を思い出すと、好きで好きでたまらなくて、それはそれで幸せなことかもしれないけれど、
嫉妬や余分な心配などの必要のない感情も同時に渦巻いていて、なんだか本当に苦しかった。
今はただただ、優しくいられる。
これが本当に一番幸せで、大切な判断基準なのかなと一人で勝手に結論づけた。
この休みもいられる時間は一緒に過ごせたおかげで、
負のループからは少なくとも片足は、抜け出せたと思う。
このまま両足ごと、ひょいと抜けられるかしら。どうかしら。
逆に幸せすぎて、平日に無力感に襲われてしまうのかな。
なんだかまとまりもなくごちゃごちゃと思うことを書き並べてここまできてしまったけど。
最後に、今日は七夕。
願うとしたら
一時期までのハッピー野郎に戻れますように、とそこまでは言わないけれど、
もう少し心の中に希望と気楽さを取り戻す事ができますように。