39

 

楽しいことがぎゅうぎゅう詰まっていて、すべてのことを文字にするのに、

とても追いつくことができないよ〜

 

そんなふうに嘆きたいほどに、ワクワクしたことがたっぷり詰まった1週間だった。

 

まず朝倉先生の診察に行った日、

そのあとは、会社帰りの彼を最寄りの駅まで迎えに行き一緒に帰宅をした。

彼にとっての大切な二人のお友達と合流し

買い出しをしてみんなで帰宅し、楽しい食事会を開いた。

 

そして翌日もまた、彼の別の友達と一緒にカフェへいき、

心から楽しいと思える会話をすることができた。

 

その人は私とちょっとした共通項を持つ人で

私自身のつい熱くなってしまう話を聞いてくれて

「こんなふうに情熱的に話してくれる人ってなかなかいないよね」と

そんな趣旨の言葉をかけてくれた。

私が好きで日々こつこつ向き合っていることを

そんな言葉で包み込んでもらえて、

ああ、間違っていないんだなとそんなふうに思うことができた。

 

彼の経験をたくさん聞かせてもらう機会もいただき、

おもわず心の底からわくわくした。

人の経験を声を介して聞くだけでこんなにわくわくすること、

これまであっただろうか。

 

彼の経験と、スポンジのように新しいことを恐れずにぐんぐん吸い込む子どもたち。

このコラボレーションを目にできることがまたさらにわくわくで仕方がない。

 

そのカフェを出てからは、彼のお友達がバーテンダーをしているお店へ軽く食事に。

私の調子があまり良くなかったんだけれど

そのペースに合わせてくれた上

その方が作ってくれるドリンク(もちろんノンアルコールという厄介なオーダー付きで)が

本当に美味しくて。

自分たちのことを見ながら考えて作ってくれたことが伝わる味だった。

 

ほんの数時間しか姿を見たことがない人だけれど

不思議とその方のドリンクを作る姿やおもてなしをする姿から

その為人がすぐに見えた。

 

そんなこんなでたった2日間の休日で

彼のお友達や一緒にちょっとした仕事を進めている人など

本当にたくさんの人と会いながら、話しながら、

自分の心も高められた。

 

彼自身もキラキラしている人だけれど

周りにこんなにも素敵な人がいるなんて。

もっともっと彼自身も、それを作り上げた周りの環境も

素敵だし、しれることって幸せだなと思えた。

 

刺激的な人が多かったおかげで、

私もこのままじゃいられないな、そんなふうに思わせてもらえた週末だった。

 

仕事はイレギュラーで3日間働くだけの週だった。

体が痒かったり重かったり

季節の変わり目にまあそれなりにやられていたけれど

オーナーが名古屋に出張しているその傍で

お店の営業をきちんと守り抜くことができて

ごく普通の3日間だったけど、

終わった後にはしっかり達成感を味わうができた。

 

するとすぐ、休みが来る。

今週もまた特別だった。

 

普通の日常だけど

それが毎週特別で幸せだ。

 

夜にはお魚と昆布から出汁をとってくれた体の温まる鍋を用意してくれて

朝のためにシャインマスカットのフルーツサンドを仕込んでくれていた。

 

朝起きてすぐにあの萌え断は思わずテンションが上がってしまう。

 

元気にスタートしたおやすみの朝は

爽やかに散歩に出かけ図書館に行き思う存分本と触れ合った。

 

そして午後はかなちゃんと半年以上ぶりに再会

 

ここまできて気づいたのは、今週の出来事はすべて出来事の羅列になっている

細かい感情の動きは記録したいんだけれど

それ以上に起こったあらゆる出来事一つ一つが大切すぎて・・・。

まずは出来事そのものを書き残して

あの時味わった事はまた後から描き起こせるようにしよう。

 

夜は、鍋の残りでお雑炊を彼が用意してくれて

私はたらときのこのフォイル焼き、水菜ときゅうりのサラダを作った。

 

いつもよりぬるく入れたお風呂にふたりでゆーっくりとつかり

ふわふわと抱っこされながらずっと歌って過ごしていた時間が本当に幸せだった。

幸せ、幸せ〜とふわふわする時間。

 

1日の中で何時間あったのかしら。

 

翌朝は月曜のお礼にも満たないけれど

南瓜のスパイスポタージュと、バナナとブルーベリーのパンケーキを用意した

 

その間彼はランニングへ。

 

一緒に過ごす時間がいつもいつも幸せすぎて

ずっと続いたらいいのになと穏やかにも心の底から願っている。

 

このあたたかさを、

ゆっくりと

この先もずっと

紡いでいけますように。

 

 

 

38

 

9月。

秋雨。

 

気づけば、お気に入りの長袖のシャツにミニスカートとタイツ

そしてバレエシューズを足元に纏う、大好きな季節がやってきた。

たった3日前まではあんなに蒸し暑かったのに、

数日の差でこんなにも心地の良い季節に足を踏み入れられるよろこびよ。

 

今週はなんだか長ーい、けれどもとても幸せと充実で満ちていた1週間だった。

 

いつ始まったのか覚えていないこの一区切りの週だけれど、

ひとことで言えば、ずっと仕事をしていた期間だった。

(私にしてはめずらしく。)

 

2週間前に催事をしていて

それが終わったと思えばもう次の催事の準備。

文字通り、息つく暇も無い。

 

しかも地方でやるために期間中に追加で作ることも

難しいから、一気に大量の仕込みを絶えずしていた。

 

そして時期的には年に2度目の英検のシーズン。

生徒さんたちはこれに向けてこつこつと日々の勉強を頑張っている。

それを思うと放っておくことはとてもできず、

日中の仕事にも追われつつ、夜のお仕事もありがたいことに連日毎日いただいている状況だった。

 

それなのに、日々幸せを感じて生きている。

それってすごいことだ。

 

知らないけれど

世の中の大半の人が職場の環境や人間関係、仕事そのものに嫌悪感を抱きながら

日々その仕事に追われている。

 

たぶん、満足して自分の職を選べている人って

一握りなんじゃ無いかしら。

知らないけれど。

 

自分はその、一握りの中で

自分の日々の仕事にやりがいを持ち、誇りを持ち

終えた後には幸せだな〜と心地の良い疲労とともに1日に幕を閉じる。

今ここにたどり着けたのは過去の失敗や人にかけた迷惑

周りの人が差し伸べてくれた数多の手。

こんなにも「有り難し」な環境に恵まれていることに

改めて感謝をし、そして恩返しとしての精進をしていきたいと思った。

 

 

そうそう、確かに働きづめの毎日だったけど

こんなにも幸せを感じたのは着々と秋の楽しみを深めることをいくつかしていたからかしら。

 

秋のアイシャドウを買って、テラコッタメイクを試したり(化粧を楽しむのいつぶりかしら。さすが秋。)

ずっと欲しいなと思っていた形の靴にやっと巡り合ってお持ち帰りしたり、

大好きな美術館の来日企画展のチケットを買ったり

10月、11月の楽しい予定がいくつか具体化して行ったり。

少し先だけど、クリスマスの飾り付けのことを考え始めたりもした。

 

うん、やっぱり私は秋と冬が大好き。

あの空気感を思い出すだけで、胸がときめいてしまう。

 

これから数週間ぶち当たる台風による気圧の変化にはなかなか

苦しめられる気がするけれど

それを超えればもう世界は私のものといったところ。

 

今日ももう、この雨の肌寒さから

先走って冬に食べたいプディング、スティッキートフィープディングを焼いている。

 

雨のおとに

オーブンから香る紅茶とブラウンシュガーのコクのある甘い香り。

これぞ、秋。

今日はワンピースに長靴はいて

大好きな場所でお茶をする。

 

夜には朝倉先生の診察。きっとまたただの栄養指導で終わるかしら。

 

 

37

1年のひとつ目の山場を乗り越えた。

 

搬入の日はすこぶる体調が悪く、1週間後やり切れている姿を正直想像することはできていなかった。

意地でものりきりたい、とすこしやけになっている部分があった。

 

実際は、そんな意地を張らずに、

たのしさのあまりあっという間に会期の終わりを迎えていた。

 

いやもちろん、毎日なかなかしんどいものだった。

6月に体があまり動かなくなってから毎日8時間働くのがやっとだった中で

普段よりも4時間多く働くことが続いていたし

普段のあの優しい光とお客様にあふれた場所とは違って

蛍光灯、感染リスクも気にせずに密着している人々、百貨店社員さんにクレームを言うひと、

環境がふだんと180度違うもので、初日は会場内を通るたびに

パニックを起こさないか予期不安に襲われて、びくびくしながら呼吸を整えながら過ごしていた。

 

 

先週書いたように今年は私にとって2度目になる英国展への参加。

ただ去年は会期中通して物販をしていたものが

今年は前半がイートイン、後半が物販と自分たちの中では2部に分かれていた。

 

これが私にとってはすごく有り難く、楽しいものになった。

そして気付きを与えてくれるものだった。

 

まごころをこめてつくること。

食べてる顔を見ること。

ショーケースを目を輝かせながらみてもらうこと。

お会計や会話のやり取りを楽しんでもらうこと。

しっかりとおしなものをその肩の手に直接届けること。

 

どれひとつも欠かせないことなのだ、と一週間のいろいろな仕事を通して感じたのだ。

 

ただつくるひとになりたいわけでない。

ただはこぶひとになりたいわけでない。

ただおもてなしをするひとになりたいのではない。

 

お客様の喜ぶ姿を想像するところにはじまり

おもいをこめてつくり

おもいをこめておとどけ、あるいはサーブをし

喜んでもらう姿を自分の目で最後まで見届ける。

 

わがままなことかもしれないけれど

私はこのすべての一連の流れを自分でやって見せたい。

 

なにかひとつかけてはだめ。

おもい、つくり、とどけ、よろこびをつくる。

むずかしいことだけれど、なにかひとつをとるのではなく

よくばりに、すべてをできるようになること。

これをめざしていきたいんだと気づくことができる催事となった。

 

そしてもうひとつ、自分のお菓子を届けるうえで感じたこと、していきたいことがあった。

これまではただ単純に「よろこんでもらうこと」が目標であり

充実度につながるものだった。

そこをもう一歩超えたいと初めての境地に入った。

 

お菓子を選んでくれる人の見えない面には

何かを失った悲しみを抱えている人

日ごろの耐えきれない疲れや負担を追っている人

深い傷を胸に潜めている人

見せない部分で、楽ではない思いをしている人がたくさんいると思う。

 

そういう部分を

わたしのおかしがあったから

すこしあかるくなれた、だとか

すこしげんきになれた、だとか

そういうところでなにか働くことができたら

どんなにうれしいことか。急にそう気が付いた。

 

ただ楽しみ喜びを与える以上に

人の心にそっと寄り添い、少しの光でもそれをもたらすこと。

 

簡単ではない思いを知っている身だからこそできること

そんな選択をしていくことができたらどんなにすてきなことか、と

なぜかふと思う瞬間があった。

 

 

こんなふうにしてえらそうにいっているけれど

私がこう思えるのは

それを支えてくれる存在があるからだということを改めて痛感した。

 

応援のメッセージをくれる友人

こんなご時世なのに混雑の中足を運んでお菓子を選んでくれる友人

本当に大きな存在だとかんじた。

苦手な環境で立っていて無意識に張っている心の糸

大好きな人の言葉や笑顔があるとそれだけで

ほろっとゆるんで、楽な気持になることができた。

 

中日の、早出もしたし夜も遅かった日、

自分の中では考えられないほど、長い時間いちにちの中でお仕事をして

こころはきらきら、楽しい気持ちで満たされていたけれど

さすがに退勤した瞬間、体力の限界ぎりぎりに達していて

ぶわぁっと涙が出た。

 

いやな涙ではなく充実の涙だったとは思うんだけれど。

 

いてもたってもいられず、声を聴きたい人に電話をし

直ぐに出てくれた。

「おつかれさま」

開口いちばんに穏やかな声で穏やかな言葉。

こんなにシンプルにこの言葉が心の奥に染み入ったのが初めてだった。

 

「冷たい野菜のうどんを作って待ってるからね~」

 

誰かがご飯を作って待ってくれていることってこんなにも

嬉しいことなんだ、、

今までもそんなことって何度もあったはずなのに

ここまで胸にじんわりと響いたのは初めての子とだった。

 

おうちにつくと

豆乳ベースの冷たいおだしに

みょうが、うめ、大葉、ほかにもたくさんの私の大好きな薬味、いか

 

私が週明けに消化不良を起こして何度も戻していたことを心配してくれて

消化のいいものを用意してくれていた。

まずはだしのまま、薬味をたして。途中に他にもゴマかつおぶしをもってきてくれた。何通りもの方法で味を楽しませてくれた。

いたわってくれるその気持ちをここまで実感したのは人生で初めてのことだった。

 

嬉しくて幸せで温かくて

大泣きしたかったけれど

泣いて心配かけるより、二人で笑って過ごしたいなという気持ちがこみあげて

なみだはなんとかひいた。

 

むかしとほんとうにかわれたな、わたし。

 

今は穏やかで二人でいる時間

にこにこしている時間を大切にしたいと思って

むりやがまんもせずに

ありのまま優しい時間をお互いに作り出せるようになったと思う。

 

そうさせてくれる彼には本当に、感謝をしなきゃね。

 

 

たくさんの支えがあって無事に催事は終了。

終わってから、また体の調子が微妙なんだけれど

思うままに寝まくっていたら少し落ち着いたかな。

 

気づけば鈴虫がなく夜になっている。

 

大好きな恰好ができる涼しい季節が少しずつ、近づいてきている。

36

 

 

2周目のサイクルが始まった。

というのは今の職場でのこと。

 

昨年の今頃、今の職場に温かく迎え入れてもらって

文字通り「あっ」という間に1年がたった。

気がつけば、一つのことをして2周目に突入するって大人になってから

初めてのこと。

学生の頃は学年が上がれば、クラスも変わって

同じ学校にいてもいろんなことが環境に任せたまま変わっていった。

 

社会人になると、特に今のような個人のお店で働いていると

何もしなければ、ただ同じ人と同じことの繰り返しをしていれば

2年、3年、あっという間にまた過ぎてしまうのだろう。

でも、2周目だから。この意識を強く持っていきたい。

持つだけでなくその意識を

2周目だからこその行動にどんどん移していきたいし

周りの人にとっても、この人はそれくらいここにいるのだから

頼りにしていきたいと思ってもらえるような働き方をしていきたい。

 

2周目の頭も、イベント自体は昨年と同じ、百貨店の催事だ。

でも今年は、物販だけをしていた去年と変わって前半はイートインもしている。

このご時世ということも

自分にとって初めてのイートインということも相まって

なんだか動きや頭の回転が鈍い自分がいるけれど。

 

でも愛を持って仕込み作業に携われたことは確かだ。

美味しく、楽しく、食べてもらえますように、と。

 

その気持ちを無駄にしないように、愛を込めて

お客様に自分たちのお店で作ったものの味とその気持ちを

届けることができればいいなあと切に思っている。

 

 

 

イベントの関係で変則的な勤務になっているおかげで

久しぶりに日曜丸一日を友だちの家でヒュッゲな時間を過ごした。

知っている人の中で一番素敵なおうちで暮らしている友だち。

久しぶりにお邪魔したけれど、その素敵さは相変わらずだった。

 

可愛いお皿と鳥の柄のペーパーで

手作りのフムスをいただき、

そのあとは美味しくスパイスの効いたタコライスをいただいた。

テーブルにはバードの置物と

美しいダリア。

大好きな友だちと4人で囲む日曜のランチのテーブル。

なんて素敵な光景だったんだろうか。

 

食後お腹を落ち着かせてからは私が焼いた

ビクトリアスポンジを喜んで食べてもらえた。

今回のビクトリアはイチジクとアールグレイのジャム。

我ながら好みの味に仕上がって、みんなにも喜んでもらえた。

何より、彼の家の素敵なプレートと

ムーミンのマグでケーキの周りの彩りを作り出してもらえたことで

大したことないケーキを食べるその時間が一層楽しいものとなった。

 

4人中3人はお酒も飲めず、

みんな人混みが好きじゃない。

でも仲がいい人との距離は近くておしゃべりするのが大好き。

 

そんな私たちだからこそ、彼のつくった居心地の良いスカンディナビンな空間の中で

のんびり食べ、お茶を何杯もお代わりし、楽しく話し続け

これぞヒュッゲ。ヒュッゲを絵に書いたような時間を過ごした。

普段日曜休みを取れないから、これが日曜日だっていうことは

さらにその日の特別さを格段に上げてくれた。

 

ああこれだな、ヒュッゲだな。、

 

私がいつでも大切にしたいのは

自分の家でも誰かの家でも

大切につくりあげられた空間で

うそいつわりなく一緒に過ごせる人と

あたたかい光とおいしいものに囲まれながら

永遠に来ないであろう飽きが来るまで

あるいはその日の時間が許す限りまで

心ゆくまでおしゃべりをすること。

 

その日の始まりの時に考えていた何倍もの元気をもらえた。

それが特別な。お休みの日曜日だった。

 

あれがあるから、そして週末に会いたい人に会えるから

そして純粋にお仕事が好きで楽しいから、

今週の私も頑張れる。

いつもと比べると勤務時間や体力、少しタフな期間になるけれど

愛を原動力に!

 

1週間後に楽しく乗り切れたー!!と言っていられるように。

 

35

 

 

昨日日記を残せばよかった、という強い後悔をしている。

というのも、昨日抱いた大きすぎる幸福感は、今もそのまま幸福感として心に残っているけれど、

輪郭がくっきりとしていた昨日のものとは変わって

淡いものへと変わってしまった。

 

幸せって時間が経てばたつほど、きちっと言語化するのが難しくなってしまうものだから

せめてもの今日のうちにこの幸せを記録しておこう。

 

簡潔にいうと、自分が住んでいる区がより一層大好きになった、という話。

 

昨日の夕方は初めて訪れるコーヒー屋さんに訪れた。

彼が頻繁にリモートワークをするためにお世話になっているところで

コーヒー屋さんとしてものすごく珍しいのが、隣に子ども園が併設している。

そもそもそのコーヒー屋さんは子ども園の経営のもと、そこに立っている。

 

先週、そのこども園で彼は得意のたこ焼きを子どもたちに振る舞ったらしい。

興味津々に焼いているところをのぞく子どもたちの写真を見たり

子どもからの可愛らしいお礼のお手紙を見せてもらったり

それに対する彼の愛ある感想を聞いたりしてそれだけで私も心満たされていた。

 

月曜日の午後、彼はその日もそこで仕事をしていて

「よかったら寄ってね〜」と言ってくれていた。

 

月曜日は自分のしたいことを思いっきりする日だ決めているので

少し街に出かけ、働いている叔母とお話をし、好きなお店でお茶をした。

図書館にいって本を漁って、今まで行ったことのなかったお店でその日2回目のお茶をした。

そんなふうに携帯も見ずにのんびりと過ごしていたから、

気づけば夕方になってしまっていて、まあスーパー寄って直接彼の家に戻ればいいかあと思っていたら

再び「カフェきてね〜」との連絡。

もうとっくに帰宅していると思っていたから、「あらまだいたの」と思いつつ

そのカフェに(少しけだるく)立ち寄った。

 

そのときのけだるさをものすごく後悔した。

 

だって、そのカフェ、まさに私にとって理想郷だったから。

 

私と同い年の女の子が店長をしていて、もう一人これまた同い年の男の子がギターを抱えていた。

お店に入ると温かく迎え入れてくれた。

 

思っていたよりも、スタッフさんとの距離が近く

あ、彼が私にきて欲しかった理由、、、行くまで全く気がつかなかった。

 

彼とスタッフのお二人はものすごく楽しそうに話しているし

初めましての私にも大変気さくにお話をしてくれるし。

驚いたのはここから。

 

お仕事帰りのスーツのおじさまがきて

カウンターで店長さんと楽しそうにお喋り、

そしてその後「合格しました、、、!!!」と嬉しそうに報告に来て

ビールを買って帰ったお兄さん。

 

子ども園の事務所のお姉さんも「お疲れ様です〜」とお決まりの飲み物を選んでいたよう。

それから子ども園の帰りのキッズたち、お迎えのお父さんやお母さんが

リンゴジュースと冷たいコーヒーを買って帰ったり

カフェに寄らなくても、キッズが窓の外からのぞいて

スタッフのお兄さんもそれにすぐにバイバーイと大きな笑顔で手を振ったり。

 

あのエリアを行き交う人、特に子ども園を利用する人も含めた周辺の人たちの

まさに「憩いの場」「交流の場」になっていた。

 

スタッフさんの子どもに対するニコニコ笑顔に癒され

大人に対してきちんとお礼を言えることもの姿に感動し、

自立した子どもが伸び伸び育つ子ども園の環境と

笑顔溢れる地域コミュニティ構築の場になっているカフェと

あの場所がいかにして成立しているかが立ったの1時間ほどの滞在でよく見る事ができた。

 

文にしてしまうとなんだか無機質な感じがするけれど

言葉じゃ到底表せない愛の形がそこには存在していた。

これを昨日の感情のまま言葉にできればもう少し良かったのだけれど。

 

今までに味わったことのない幸福感で

あぁこういう場所をつくつことを実践している人たちってなんてかっこいんだろうと心の底から思った。

先週は東京を離れて綺麗な空気の吸いながら、静かな夜を過ごしていて。

明るいネオンや大通りを通るトラックの音や排気ガス、駅の中の人だかり、

ああやっぱり東京はダメかもしれない、と東京アレルギーを発症しかけていた。

 

でも、こんな素敵なコミュニティが存在している区なんだ、と知って

こういう温かい場所が近くにあるのならば是非とも子育てをしてみたいと思えた。

今住んでいる区は

小学生の時にとにかく買い物に行きたくてそのために中学受験の志望校をここにしようと考えていたところ。

中高の時、友達とも一人でも何度も何度も遊びに行ったところ。

大好きなアイドルのコンサートに来たところ。

高校3年生の時、毎週木曜日、塾に通いに来ていたところ。

ちょうど1年前に離れた、愛と優しさに包まれながら仕事をさせても立っていたところ。

学生時代から今でも変わらずピクニックをたくさんして過ごした公園があるところ。

大好きで何度も通いたいお店がいくつもあるところ。

今、愛おしい生活を送っているところ。

 

きっと何か、昔からの強い縁があるところな気がしている。

東京にいるのであれば、これからもこの区にお世話になれればいいなあ。

 

 

 

そして、話が大きく変わるけれど金曜日の日記も。忘れないうちに。

 

朝、仕事で買い出しに外に出ていた時に

道に、横たわっている雀がいた。

 

小さく、美しく、切なく。

雀はきっと、死んでしまっていた。

 

救うことも片付けるとこもできず、一日胸に突っかかっていた。

 

心に突っかかりがありながら働いたその日は

いつもにまして色々なお客様がいらっしゃった日で

いつも以上にやさしくいられる自分がなぜかいた。

 

雀のために?わからないけれど、なんとなくそうやって

朝見た雀に捧げたい気持ちが根底にあった。

 

朝に見た雀の死。

 

夜にもう一つ、死の知らせがあった。

 

父からのおばあちゃんがその日のお昼、91歳の誕生日その日に亡くなってしまったそう。

 

その数日前から、おばあちゃんの具合が悪いという話は母から聞いていたし

年齢も年齢だったので、酷く驚くことも酷く悲しむことも正直なかった。

ただ、やはりこの時期だから、きちんと最後のお別れができないことは悲しいことだ。

 

おばあちゃんは私が物心ついたことから、少し弱っていたような気がするし

ここ数年会うことさえできていなかったから、

今悲しいと深く思えていない自分の心がなんだか一番悲しい。

 

でも、雀が何かを伝えてくれていたのかな、そんなふうに考えさせられた1日だった。

 

自己満足に過ぎないけれど、

今会えない人のために、その気持ちを表現するためには、

今会える人、近くにいてくれるひとに精一杯の愛を表現する、優しさを行動に起こす。

 

これくらいしかできない。

 

おばあちゃん、どうにか天国で安らかに過ごしてね、

久しぶりにかっこいい素敵なおじいちゃんとゆっくりおしゃべりしていてね。

私の大切なお父さんを、素敵なお父さんにしてくれてありがとう。

 

私の大切なお母さんとお兄ちゃんにも会いに

何時間もかけてアメリカにいてくれてありがとう。

 

 

 

 

こんなふうに書いていたら、今はもう

9月の夕方。秋の夕方だ。

 

9月の大気は暦をわきまえているのか、一気に涼しくなった。

この涼しい空気感。

大好きな季節が近づいてくる。

 

本を読むことに集中できる秋も

大好きなコートに身を包む冬も

街が煌めくクリスマスも、、、

ああ書いているだけでわくわくしてきてしまう。

 

そして今年の9月に深く思うこと、

今の職場に受け入れてもらってから一年がたった。

あっという間だった。

これでいいのかなと思ってしまうほど、まだまだ足りない部分が多すぎるけれど

それでも自分なりにやりたいことを目一杯してくることはできた。

 

そして9月になったということは、お仕事の山場でもある。

 

月、火、幸せな連休を過ごし、充電がたっぷりできた、

 

山場、楽しく乗り切ろう。いろんな人に楽しんでもらえる一週間を。

34

 

 2020年が始まって、ようやく初めての旅に出る事ができた。

 

何度も書いているけれど

本当ならば、イギリスに滞在して

スコットランドにも初めて降り立って

大好きなラスとパトリシアに会いに行って

できるなら北欧の未踏の国にも少し立ち寄って

そんな事思い描きながら、妄想と貯金を進めていた2020年。

 

その夢と楽しみは、ウイルスの拡大によって阻まれてしまった。

 

6月、一度国内の感染者が落ち着いた頃に彼と

夏休みを合わせてとって近場で温泉に行けたら良いね〜、

そんなふうに話をしていた。

 

7月の終わり頃から再び感染者数がどんどんと増えてきて

うーん、どうすべきかな、悩む日々だった。

 

目的地はふわっと決めていたけれど

行くと言う決断、実は心の中で煮えきらず、

控えた方がいいのかな〜とずっと考えていた。

 

しかし最終的には、車で気をつけるならいいんじゃない?と言う複数の友達の言葉や

彼の判断に委ねていたところもあって

今回の旅行は、車で、人との接触を気をつけえながら、決行した。

 

 

 

今週の日記は、長野県で過ごした幸せな4日間のことを。

(最高すぎて週の前半3日間の記憶がない。)

 

☺︎ 1・2泊目を過ごしたペンション

山や鳥、自然好きの友達におすすめしてもらった乗鞍高原

まずこの高原で涼やかな夏を過ごすことを決めて、

その後滞在先をリサーチした。

そこで見つけた一つの小さな可愛らしいペンション。

お宿の名前もスイスの地名からついていて、

宿の中には至るところにアルプスの写真やスイスの民族衣装、楽器が。

窓際に可愛く飾られた鮮やかなお花が目立つ外観も

木造りで温もりを感じられるお部屋の内装も

いったことはないけれど、スイスの温かい家族に迎え入れてもらっているような

そんな最高のペンションだった。

 

シャイなお父さんの作ってくださる料理の不思議な懐かしさ、

おしゃべりなお母さんがそれぞれの品をサーブしてくれるそのタイミングの良さ、

全てが完璧で、こじんまりとした最高のおもてなしを受けているような気持ちになれた。

 

朝の散歩は鳥のさえずりも

新鮮な空気も、心を洗ってくれた。

夜は、宿の目の前に出ただけで

空を見上げると、天の川が広がっていた。

彼はあっさりと二度も流星を目にしたらしい。

そんなことを聞いてしまうと、私だって見たい!子どものような気持ちが動き出した。

旅の中、いつものように、あるいはいつも以上に優しい彼は

そんな私のわがままにも付き合ってくれた。そして

私も念願の流れ星。

あんなに濃く流れ星を見たのはいつぶりだったかしら。

小学生の頃に訪れた石垣島で島全体がダウンライトされていたあの夜。

天の川がはっきり見えたことは覚えているけれど、

流星は見なかったかな、

そう思うとこうやってはっきりと流星を見れたのは

もしかしたら物心ついてからは初めての出来事だったのかも。

 

満点の星空、肩にかかる高原らしい少し冷たい夜の風

そんな山の中でキスをしたのは

これまでの私たち史上で一番ロマンチックな出来事になった。

 

このご時世、と言うこともあり

宿泊客は私たちだけ。

 

本当にそう言う境遇を味合わされている宿や旅館の経営者の方々は

大きな痛手を負っていると思うけれど、

そんなことを考えさせる余地もないくらいに

私たちに温かいおもてなしをしてくれた。

しかも木造りの素敵なペンションを貸切のような形で使わせていただいたこと、

本当に一生味わえない

今年だからこそ、な思い出になった。

 

☺︎ 上高地

☺︎ きじ、さる、

☺︎ 自分が育ってきた環境☺︎ 丁寧に作られたお食事、彩豊かなテーブル

 

今日はもう疲れてダウン、

明日からまた少しずつ振り返りつつ、

思い出を噛みしめていく

 

8/26

追記

 

☺︎ 上高地

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☺︎ きじ、さる

旅の中ではたくさんの動植物に出会ってきたけれど、今回道路上では2つの動物に遭遇した。

ひとつはきじ。

キジをわざわざ書き残そうと思ったのは、心配の気持ちが拭えないから。

 

飛ぶのが苦手なはずのきじ。

なぜか道路脇から飛んできて

前の車の天井に衝突。

その勢いで跳ねて、地面に打ち付けられる瞬間を目の当たりにした。

一瞬血の気が引いたけれど、

運転している彼もその様子に一瞬で気がついて道路に降りたキジをうまくかわして運転してくれた。

少し間違えていればあそこで引いてしまっていたのかも。

 

キジの上を通り過ぎた後、振り返ってみると

なんとか体を起こし、足を痛そうにしながら

道路脇に身を寄せようとする姿までは見届ける事ができた。

 

ただ、そのあとはわからない。

もしもあの時におった怪我が大きいものだったら。

そう思うとひどく心が痛むけれど、どうにか無事であって欲しい。

可愛いあなたに出会えてよかったよ、どうか無事でいてね。

 

最終日は道路でニホンザルを発見。

遠くから、何か茶色い動物のお尻が見えるなあと目で追っていたら

なんとも愛おしいおさるさんのお尻だった。

ああ、山の中にお邪魔させてもらっているんだなと旅行中何度も何度も

感じたけれど、特にこの瞬間もその感覚を強く味わった。

 

☺︎ 自分が育ってきた環境

これに感謝をしたくなった旅だった。

私はあらゆる動物が好きだ。

好き、と言うより全ての動物に対して平等でいたい、そうした強い気持ちをもっていると思う。

 

どんなに小さな虫も

人に嫌われるような虫も

多くの人に可愛いと言われるもふもふした動物も

隔てなく愛を注いで生きている。

 

周りの人には少し嫌がられるくらい虫のことも好きで

全く嫌悪を抱く事ができない。

 

今回の旅では、本当に多くの虫が常にそばにいる状態だった。

多くの女性であれば、こんなところもう嫌だ、なんて言う状況だったかも。

 

私はそういうふうに一切思う事ができないタチなので

虫のいる宿でも山でも道でも温泉でもへっちゃらだった。

 

私をこんなふうに、虫と友達のような感覚を持てるようにさせてくれたのは

他でもない、兄と父のおかげだ。

 

小さい頃から虫の関心が強かった兄の影響で

いろんな虫を見ることに私も興味があったし、

気持ち悪いと言う感覚が芽生える前に虫を見慣れ触り慣れてしまったんだと思う。

 

時々人に気持ち悪がられるけれど

どんな虫のことも、命を大切にしようとして

潰すようなことはせず

見つければそっと外に追いやって、

そんなふうに虫の命も大切にできる自分になれたことを私は嬉しく思う。

 

虫に始まり、とにかく兄と父のおかげであらゆる自然のものがすきだ。

植物も、動物も、池も川も山も。

何もかも神秘的な要素が詰まっていて、とにかく尊い

この4日間では、普段はパッと頭に浮かぶことのない「尊い」と言う言葉

何度も自然に心の中で溢れた。

 

広大な湖を見ても、そびえ立つ木々を見ても、透き通る川を見ても

尊い尊い

山の岩肌を見ても、大人になりかけているお玉杓子を見ても、とにかく尊い

 

自然に人間は絶対に勝てないと思う。

小さい頃から家族が何度も近くで言っていたこと、

大人になってどっぷり自然に浸かる久しぶりの旅で

身にしみて実感した。

 

視界に入ってくるいろんな鳥の種類がすぐわかることで彼に驚かれて

私自身も、あ私鳥の種類結構知っているなと心の中で少し驚いた。

 

意識しないところで、自然にたくさん触れ合わせてくれた

幼少期からの経験が身について、生きて、今を楽しくさせてくれた。

 

自然に触れる機会をたくさん与えてくれながら子育てをしてくれた家族に改めて感謝をしたくなった旅だった。

 

 

☺︎ 丁寧に作られたお食事、彩豊かなテーブル

この旅の中ではたまらなく美味しい食事をたらふくいただいた。

なんせ私と彼の大きな共通の趣味は美味しい味を見つけること。

誰と旅に出ても食べる事が大きなメインイベントになる。

だけれども彼と私の場合、それ以上に食事の時間は意味のあるものだから

今回は出発前から食べたいものにはしっかりと目をつけていた。

 

最終日は、ペンションではなく旅館に宿泊し、

そこでのお食事は、サービスを含め本当に良い時間をプレゼントしてもらえたようなものだった。

ひとつ一つの素材の味が丁寧に引き立たされ

また食材のカットの仕方、色合いの取り方ひとつ一つの細かいこだわりが伝わってくるものだった。

 

この時に改めて感じ、思わず口に出してしまった事がある。

丁寧に作られたものは、本当に美味しいね。

なんの変哲もない面白みのない事。当たり前のこと。

でも実現が難しいし

生活の中で実感できる機会はなかなかないことでもある。

 

思わずこんな言葉をくちにしてしまうほど

彩へのこだわりに重きをおかれたお食事は

本当に腹も口も心も何もかもを満たしてくれる。

 

当たり前だけれども、改めて

 

食べてくれる人のことを考えて丁寧にお菓子作りに励んでいきたい。

 

自分の好きなものこれからも大切にしたいものが

くっきり彫られて眼に見えるようになった

そんな最高の4日間の長野旅だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

思い出した、

夜に大好きな先輩たちと久々に再会した日もあった!

4人で集まる、他ではないあの空気感。

帰りたくない、と言う私が普段滅多に抱かない感情を持ってしまうほどに

絶えず笑って最高の時間を過ごす事ができた。

 

人生、一つ一つのピースが愛おしいな。

そんなふうに思える、きっと今年で一番の1週間だ。

 

 

33

 

おやすみの日の朝は幸せになる朝食を。

 

昨日の朝は、チェダーチーズとローズマリーのスコーンを、

今日の朝は、フルイングリッシュブレックファストと野菜の旨味がたっぷり出た温かいスープを。

 

おやすみの日の朝をこんなに幸せに過ごせるのは、

その前の1週間がどれほど幸せなものだったかの象徴でもある。

 

8月に入ってから、日記で毎度

「調子がいい」「調子がいい」と綴っているけれど、

今週もまた書こう。調子がいい。

 

実際に2、3週間前以上に調子がいい。

というのも、今はお薬の力に頼って調子がいい訳だけれど

結局そういう手段は余計な力も強く働くもので

早期覚醒するのが癖になり不眠気味だったり、

鉄剤は便や胃腸の状態を少しおかしくさせたり、

からだの調子は良いものの、そういった違和感は拭えずにいた。

 

しかし今週は、薬に体が慣れてきたこともあってか

6時間ほどは連続で眠れるようになってきたし、

胃腸も以前のように快調モードを取り戻した。

 

先週も書いた気がするけれど、体調が良いだけで人生ってこんなに順調になるものなんだ。

そこへの衝撃が大きいままで隠しきれず。

体調が常に良い人生だったら、もっとあんなことやこんなこともできたかしらと思いを巡らせて悔しくなることもある。

 

でもこれが私に与えられた人生。

 

自分の性質や体質だからこそ、気づけたことやできたこともある。

言い訳せずに、自分という領域の中でできることとその方法を探っていかなければいけないものだ。

 

 

体が調子の良くなった証拠の一つとしておよそ半年ぶりに

仕事から帰宅したその後にお菓子を焼いた。

一時期は連日でしていたことだったのに。

 

ネットフリックスで見た番組にインスパイアされココナツを使ったお菓子を作りたくなった。

トロピカルすぎるものよりも

オリエンタルなココナツの使い方をしたかった。

そこから焼いたのがココナツとチャイのスクエアベイク。

 

そして、その次の日にでもゆっくり焼こうかと考えていたセイボリースコーンも続けて焼いた。

 

ここのバイタリティに(言うほどでもないが。)

自分がこれほどにも元気になれているんだと嬉しくなった。

 

うん、やっぱり私は

味をつくること

喜んでもらえることを思い浮かべながらつくること

ぼんやりとオーブンから漂う香りを楽しむこと

焼き菓子を作る事が大好きでたまらないんだ。

 

自分にできる数少ない事、これなんだ、と思えた。

 

 

そして私にできるもう一つ事と久しぶりに触れ合った。

こどもたちとの時間を過ごすこと。

 

久しぶりにあってにやにやと迎え入れてもらえた事が物凄くうれしかった。

 

ただテレビを見たりゲームをしたり勉強をしたり

外にはお出かけできない今だけれど、

だからこそ何気ない時間の大切さを改めて実感する事ができた。

 

私が彼女たちに対して無条件の愛を抱いていると同じで

彼女たちも私たちに対してそういったものを持ってくれている事がわかって

心が愛で溢れかえってしまった。

 

それから、悲しいことに

北海道に住む彼女たちのおばあちゃんは

今日明日中にはもう、空の向こう側へ渡ってしまいそうだとそんな知らせが遊んでいる途中に入った。

 

ここ数ヶ月何度か北海道と東京を往復しているらしく

つい数日前も北海道に行っていたらしい。

その知らせを聞いた姉妹たちは

「えーーーまた北海道に行くの〜」

最初はそういった反応だった。

 

そうだよね、小学生のあなたたちからしたら

おばあちゃんってなんだかよくわからない存在だよね、それもわかる。

でも、わかってもらいたかった、おばあちゃんがいかに愛おしい存在で

そしてあなたたちのお母さんにとっておばあちゃんがいかに大きい存在であるかを。

 

だから、お母さんがお部屋の外に行った時、姉妹たちにはこう伝えた。

「ママにとっておばあちゃんが亡くなるってことは

あなたたちにとってママがいなくなってしまうことなのよ」と。」

そうしたら、ことの重みがスッと伝わったよう。

以後決して北海道にまた行くのが面倒だと言わなくなったし

「悲しいね」「ママがいなくなったらイヤだよ」と口にしていた。

 

「北海道に行く時はママに優しくしてあげてね」と伝えると

「うん、そうするね!」と素直な姉妹たち。

 

きっと今は実感が湧かなくてもおばあちゃんの綺麗に寝ている姿を見たら

不思議と涙が止まらないんだろうな、なんとなく姉妹たちの様子の想像がつく。

私にとって彼女たち一家は本当の家族のように大切に思う存在だから

皆様で気をつけて北海道に行って

おばあちゃまと最期の素敵な時間を過ごしてきて欲しいな、と他人事ながら、ただ祈る。

 

 

そしていつものように思う。

私もすぐにおばあちゃんに会いたい。

 

でも今はそれができないから、おばあちゃんに会う代わりに

他のおばあちゃんにできることをしたいと思って生きている。

それが私のおばあちゃんに直接伝わるかわからないけれど

気持ちだけでも少なくとも、そう思っていたい。

 

お店に時々来てくれる大切なおばあちゃまがいる。

昨年ご病気をされたらしいけど、とても綺麗な身繕いで可愛らしい方。

8月の暑さに包まれるようになってからしばらくお会いしていなかったけれど、

先週のまんなかあたり、日差しが最も強く降り注ぐ時間帯にお店に足を運んでくださった。

 

相変わらず可愛らしくて素敵なおばあちゃま。

こんなに暑いのに、なぜかこの間お会いした時よりもさらにしゃきっとしてお元気そうだった。

その姿を見られる事が嬉しくて、ついたくさんおしゃべりをしてしまった。

 

その時におばあちゃんに会いたい気持ちで胸がいっぱいになり

なんだか泣きそうになった。

でも、悲しい気持ちじゃなくて

幸せな気持ち。

 

今できる事は、地道に頑張れることに力を尽くすこと、と

おばあちゃんへの思いを馳せながら身近にいるかたに優しさをもたらすこと。

この気持ちがおばあちゃんに伝わると良いな、ただそう思いながら。

 

 

 

お盆休みで平日もお店は盛況、なんだかんだ忙しくあっという間に過ぎた1週間。

 

華日(私にとっての華金)は彼とお友達と一緒に過ごさせてもらったり

いつものようにコンビニで食べたいアイスを選んで帰ったり、

新しくも、いつもと同じ、穏やかな時間。

 

優しく大きな手に包まれて

いやな夢を見ても

この人と一緒にいればやすらぎに包まれたままでいられる。

日に日に心と体がそれを学習していっている。

 

あたたかいお腹にぴたーっと張り付いて

頭を柔らかくなででくれる人。

 

言葉がいらないなーと思える瞬間が多い何時もに増して一層幸せな週末だった。

 

でも実は夏と幸せの本場はここから!

 

3日間だけお仕事に行ったら、

ちょっとだけ休暇をいただく。

 

6、7月とお仕事でお休みをいただいてしまっていたけれど

それらは全て不調によるもの。

 

今回は久々に、休むぞ〜と決めていただいたおやすみ。

 

素敵な時間をつくれますように。