5/14 とくべつ

 

 

とりがさえずる金曜午前11:40。

 

東京にいて鳥の声を聞きながら、書くことに専念できる金曜日って、いまがきっと人生のうちに最初で最後なんじゃないかしら。

そしてどうか、そうであってほしい。

 

鳥の声がこんなに澄み渡って聞こえるのは

人々が出歩かないようになったことが一つの大きな要因なんだって。

 

 

さえずる鳥の声を聞きながら、日記を書くこと、

昨日はこれと同じくらい、この状況の「今」しかできない楽しい一日を過ごした。

そんな昨日のことを、

今日は週に一回の枠を超えて、ひとつの記録として残しておく。

 

自分にとって、とってもとっても大切でこれからも忘れたくない時間になったから。

 

昨日は、ひとことでいえば、まれのおうち誕生日のお祝いを一緒にさせてもらった。

 

おうち時間でも最大限に楽しい誕生日を作るため、遠隔でお菓子作りを教えて一緒に焼いていくという楽しいプラン建てをしてもらった。

終始まれのあたたかくて優しい太陽のような導きのおかげで、自分の心のうちをするする、するすると引き出してもらっていた。

 

配信を見直してみると、自分の心の中でぐるぐると渦巻いていることが

自分なりのつたない言葉ではあるけれど、

その中でできる限り表現をすることができていたみたい。

改めて聞いてみたことで、「そうそう、わたしこうおもっているのよね」「ああ最近こういうこと意識していなかったけれど、やはり大切にしていきたいな」なんていう発見があふれる程に多くあった。

 

自分とおかしのつながり、とか

自分とイギリスのつながり、とか

自分の中でのおかしと言葉の結びつき、だとか

私が働くうえで、あるいは生きていくうえで、根幹に置いて大切にしていきたいことを改めて言葉にさせてもらう機会を頂けたことは、

ここ最近下がりかけていたモチベーションを再びあげてくれるために大きな励みになった。

 

頭の中でごちゃごちゃ考えたり

自分しか見ないノートに汚い字で考え事を羅列したり

そういうことは日常の中で常にしていたけれど、

誰かと話して引き出してもらうことで

忘れかけていたこと、意識を向けられていなかったことに対して

しっかりと目を向けることができた。

 

まれとはある意味「表現者」という共通点があることに気づいたけれど、

あーー色々書いていたここ、ドラフトが消えていた。悔しい。まれとの表現者という共通項についてはまたゆっくり書きたい、そしてまれと改めて語れたらいいなぁ(1000字くらいかいたのに。くやしい。)

 

 

 

まれと話していて、彼女にも納得していただけたことの一つに、お菓子作りは瞑想やヨガに近いものがあるということ。

例えば無心になって、計量したりかき混ぜたりする作業はまるで瞑想。手は動いているけれど頭の中の雑念を取っ払って、無心になって集中することで、気づくと頭の中がクリアーになる。

 

そしてヨガと近いなと思うのは、

無意識に自分をいたわる時間を与えてもらっていること。

 

ヨガを毎朝していて思うことは、こんなふうに日常生活で呼吸をしてあげられていないな、なからだよごめんね、ということ。

ヨガをすることによって、意識をして呼吸せざるを得なくなるし、普段動かさない筋肉へのアプローチをかける時は、その部位に普段一切しないケアをしてあげる瞬間を得ることができる。

 

それと少し似ていて、お菓子を使ったりお茶を渡したりする時、いやでもオーブンの待ち時間やお茶の蒸らし時間を与えられる。

まぁもしかしたらその間に済んでない家事をしたり、カップの用意をしたり、そんなふうに過ごせるかもしれないけど、

でも、少なくとも普段時間に対して、殆ど意識を持たずに過ごしているところを、「これから40分かかるんだ」とか「3分の間に何ができるかな」とか、1分1分を大切にする意識が授けられる。それがわたしなりにヨガとお菓子作りとお茶に通づるポイント。

 

出来上がって美味しくって楽しい、これだけでももちろん、大きな喜びを自分に与えるある種の大きなセルフケアになるけれど、

お菓子を焼くその待ち時間が、普段忙しなくただ過ぎてしまう時間への意識を変えさせてくれる。そんなことを教えてくれる格好のセラピーの時間になるのだ。

 

 

そんなセラピータイム、こうやって誰かに遠隔で教えて作ることも、その姿を配信することも全くの新しい経験だったけれど、

見てくれた方のことばや行動がこころにふかく、ふかく、よろこびを与えてくれた。

 

配信前までは同じタイミングで焼いてくれる人なんてそういないだろうなぁと思っていだけれど、いざ、終わって完成後の写真を共有してもらったときには、不思議と使ったお菓子をただ「おいしーい」と言ってもらえる以上の喜びを感じた。

 

これはきっと、今この状況でお菓子作りに関して誰かからポジティブな言葉を貰えると一切思っていなかったから。

遠い距離がある分の感動も大きかったと思う。

 

もっともっと嬉しかったのは、配信後にも友達がお菓子を焼いて写真を見せてくれたこと。当日の開催時間はお仕事があって参加が難しかったみたいだけれど、わざわざ後日アクセスしてくれるなんて。しかも「かこいち美味しくお菓子が焼けたよー」なんていう嬉しいことば。

こんなに嬉しいこと、あっていいのかな?

このことば、確か先週も使ったばかり。わたし、幸せすぎる人生をおくれているね?!?

 

いままでテイクアウトのお菓子って、食べているときのその笑顔を見ることができないから、なんだか少し味気なくて切ないものだと思っていた。

けれどこうやってそれぞれの人がそれぞれの一番落ち着く家という環境で、それぞれのテーブルセットでそれぞれの楽しみ方をしている。その姿をのぞかせてもらうことって、こんなにも楽しくて喜ばしいことなんだ!と今回の企画では実感した。

 

自分1人じゃ絶対しないだろうこと、思いつかないだろうことを、まれのパワフルさが全てを導いてくれて、いろんなことを感じて学べる最高の時間を過ごすことができた。

 

 

 

できることは山ほどあるんだ。

 

とにかく、まれにはこのことを強く教えてもらった気がする。

 

おうちにいることを自分自身でも明るく捉えられるようにここ3週間くらいはなっているけれど、今こそ次の領域へ。

自分だからできることは?自分の使命や存在意義は?!

 

いろいろと心の中で思い描いていることを口に出したおかげで、めらめらと心の内側がやる気の火を燃やし始めている。

 

私的な活動にはなると思うけれど、自分でできること、来週は形にしていきたいな。

 

そして明日からの週末はまたすこしお店のためにできることをし尽くす。

 

 

本当はまだ書きたいこともあれば、もう少し綺麗にまとめていい読み物にしたかったっていう気持ちが大きいけれど、まずは今感じている気持ちを忘れないように残すことが大事かな、と思ったので、乱雑だけどここまで!

 

また編集したり新しいバージョンを改めて書いたり、このままで終わらせたくないつもりですっ

 

 

ヨガの先生じゅり先生のブッダの言葉もとても良かったから残しておく

If we could see the miracle of a single flower clearly, our whole life would change. 

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