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Quarantine : Day 26
もう1週間がたってしまった。
なにしたかなって振り返ると、ただただ家にいただけ。
でも、先週もそうだったけれど、時間がたてばたつほど
この状況に対するマインドのコントロール、処理の仕方がどんどん上達してきていると思う。
走ることが軽く感じられるようになったこと
1日1時間のヨガもすっかり習慣になったこと
ありがたいことに英語の受け持つレッスンが日に日に増えていること
この3つの要素のおかげで1日が過ぎていく時間がだいぶ早く感じるようになったし
無駄に過ごしている時間がほとんどなくなってきた。
陽の光が窓からさして、温かいココアを飲みながら
午前と午後のレッスンのレポートをまとめて
よるのレッスンの準備を進めて
火曜日だということにふと気が付いて
日記を書いている、いま。
今までの生活の中でこんな時間はあっただろうか。
似たような時間はあったかもしれない。
でも、その条件に加えて
大好きな映画'About time'の音楽をかけて(今流れているのは一番大好きなティムのプロポーズシーンで流れる'When I Fall in Love')
リビングルームではママがうたたねをして
わたし自身もじべたにべったりと腰掛けながらこの日記を書いている。
ここまで、自分を見つめなおして
家族やいえの存在のあたたかさを感じて
1週間を振り返るということはこれまでの生活の中では到底できてこられなかったこと。
ここ1週間毎日受けているヨガのレッスンで
心に残った言葉があった。
What do you miss and what you don't miss?という投げかけ。
今日はこれを上げていってみようかな。
まずWhat I don't missなこと。
たったひとつくらいしか思い浮かばない。
満員電車に乗って通勤をすること。
でも本当にこのたったひとつ。それだけみたい。
そしてWhat I miss... これは挙げたらきりがないのは承知しているんだけれど
たとえば、とうきょうの暮らし。ざっくり過ぎるけどこれがほとんどすべてだ。
5時から5時半くらいの時間に起きて走りに行って
ヨガか筋トレをして、わくわく楽しみにしていた朝ご飯を食べて。
アパートを出ると向かいのおうちのベランダにはたばこを吸うおじさんと相棒の黒柴犬がいて
毎朝顔を合わせてしまうので、なんとなく会釈して。
いつもの8:23の電車にぎりぎり乗りこんでポケットから小説を出す。
神保町の駅で電車が空っぽになるから、ずどーんと腰を掛けて、
毎朝ほんの短い時間だけれど電車の喧騒の中で
心を静かに読書に集中する、大好きな時間だった。
そこからもまた大好きな時間。
電車を降りて心落ち着く短い銀杏並木の中を深呼吸しながら歩いて
出勤前に人がたかっている喫煙所の前をけむたいなとおもって歩く。
大好きなドアを開いて
すでに佐知子さんがケーキを焼いているときは
体いっぱいにその香りを吸い込む。
毎日顔を合わせているけれど、前日の夜からその朝までのたった数時間の出来事を楽しく話して
朝の仕事に取り掛かる。
いつもの、だいすきなしごと。
しごとのことは一つ一つの動きやお客様との会話、書いていたら終わりのないものになってしまうのでここは割愛するけれど
朝の9時にお店について、
お店を後にする18時になるまでは、
毎日本当に一瞬なのだ。
今日も幸せだったなあと
心地の良い疲労と幸福感をかみしめながら
お店を後にする。
今日はスーパーによる日だ
とか
きのうまとめてつくったあれをたべよう
とか
ああ20時からレッスンだ時間がない
とか
いろんなことを考えながら
大好きながら音楽を聴きながら
いつもの道でおうちに帰る。
誰もいないけれど、わたしとおうちはもうすっかり最高のパートナー関係となっているので、帰ると無意識に部屋に向かって
ただいま、だとか、つかれたよ~だとか声をかけてしまう。
こんな日常もあるな
まおから「りさきょうあえる?」っていううれしいライン。
事前に計画してる時も多いけど
ちょうど「きょうやることないな~」っていう日に来ると
とてつもなくうれしくなるまおからの連絡。
本当にお互い気張らなくくていい気楽な存在で
失礼なことにまおにはなんのおもてなしもせずに
夕飯は各自用意、なんてことが多い。
そんな風にしてしまうのに、何度も足を運んでくれて
どれだけの頻度であっても話すことが尽きなくて
毎度毎度心地よすぎる時間を過ごすことができる。
特に何にもない日は、次の週の計画を立てたり
雑誌やレシピを見たり
今回は破綻してしまった自分のイベントのなり、今後の事業計画(格好つけた言い方)を練ったり。
とにかく気ままに過ごしていたっけなぁ。
温かいお茶を淹れたり、
それでも口さみしければ狭いベランダに身を持たれかけてミントの香りを思いきり吸って息抜きを助けてもらったりもする。
お料理した日は、ストックを包むまでの冷まし時間に
キッチンの気になる汚れをピカピカになるまで落とす。
あのティファールはげんきかな、
冷蔵庫やオーブン、ふれられずにさみしがっていないかな。
ひとつひとつ、すべてを自分で選び、購入し、組み合わせてつくりあげた
自分にとって初めての「自分の空間」。
全てのものも行動も全部が懐かしくて恋しくてたまらない。
とくに、携帯電話を手放して
電気も落として
イケアの小さなランプだけをつけて、本を読んで自分自身に催眠術をかける。
あの一日の中で一番静かな
一番ふわっとした時間。
それが本当に恋しい。
休みの日に自転車に乗って出かけることも
大好きな友達とランチに行くことも
ピクニックに行くことも
前々から計画立てて鎌倉あたりに遠出をすることも
誰とも予定を立てず蔦屋や美術館に引きこもることも
味の勉強とかこつけてこれまでいったことのないカフェに行くことも
お休みの前の日仕事帰りに、普段と違う地下鉄を使って目的地に行き
いつもより夜遅くまでおいしいものを口にしながら楽しく語らうこと。
書いてみて思ったけれど、What I missしていることは案の定多すぎた。
いろいろ書いたけれど、これはほんの2割くらいにしか過ぎない気がする。
まだまだたくさん、日々の生活の中でしていていまできないこと
あえないひと、いけないところ、あまりにも多すぎるよ。
でもね、いまはそれは必須ではない。そうも思える。
今家族のいる温かい家に、かくまわせてもらっていること
おいしいものを不自由なく食べられること
あたたかいおふろにはいれること
毎日自然の中で、それも死後の世界かのような美しい季節・風景の中で走れること
素敵な生徒さんとたくさん言葉を交わせること
大好きな友達とメッセージのやり取りができること
夕方にパパが無事に帰ってくること
くだらないけれど、今まで見ていなかったテレビを見ながらげらげらと笑えること
いちにちの終わりに優しい声の持ち主とあたたかい言葉をかわし穏やかに眠りにつけること。
what i missなことはたしかに数えきれないほど多いけれど
今の生活の中にだって
What I'd miss if I lostなこと(なくなってしまえば、恋しくなってしまうこと)がすでにかぞえきれないほどある。
それってほんとうにしあわせなこと。
ヨガの先生が投げかけてくれた一つの疑問によって
もちろんああこれができなくて悲しいということにも気づいたけれど
それ以上に今あるものがなんて素晴らしいものなんだ、とそんなことを教えてもらうことができた。
それから話が戻るけど What I dont missなことがほとんどない、これも私の人生がどれほど幸せにあふれているものかっていうことを教えてくれている。
今週の日記というよりは、今週気づいたこと、精神論的なものに傾いた日記になってしまっているけれど、しばらくはこんな日記でもいいかしら。
よんだほんとか
他のメモに書き留めたこととか
そういうこともまとめていけるといいのだけれど。
愛をこめて
最前線で働き続けてくださる全ての方と
苦しいながら学校にいけないすべてのこどもたち、学生と
全ての方に感謝がとどきますように。