15

Quarantine : Day 19

早くも在宅機期間が20日に達そうとしている。

今週は、ようやくおうち時間を鬱になることなく過ごす術が身についてきている実感がわいてきた。

1週前を振り返ると、心のコントロールがうまくできずにいて
家にいることを心の中でも、仲のいい友達に対しても嘆いていた。

私のいとおしい友人たちはここで、最強の言葉という武器を与えてくれる。

たとえば、わたるくん。
自分の無力さに萎えていた時
「家にいることがいいことだと自分自身をほめてあげよう」

たとえば、ゆうきちゃん
「何かしなきゃ」「お仕事しなきゃ」「お金貯めなきゃ」「運動しなきゃ」
「きゃっきゃってかんがえすぎてたな~って」
「律する必要ってあるのかな、つかれちゃうよ!」
「今まで力みすぎてたのかなって」

おくってくれたつぶやき、そのままの言葉を書き残してみた。
普段から何か使命感に襲われていることにこの言葉の羅列を目にして気が付いた。いい意味でも悪い意味でもね。何か責任を負って動くことで自分の意義を感じていたの。今大して何の使命や責任、仕事もなく、やるせない気持ちでいたときに、それでもどこか「きゃっきゃ」の強迫観念に襲われていた。
そこに気が付くことができたのだ。

今この期間はなにかをしな「きゃ」。この観念を緩めて、そこから解放されることを逆に目標としてみようかなと思えるようになった。
もちろんそれ自体も解放されな「きゃ」と思ってしまったら本末転倒だけれども。
それでも週の頭にこの意識をすることができたから、自分の無力さみたいなものを嘆く無駄でむなしい時間は今週はほとんどなかったように思う。すばらしい。渉君の言葉を借りて言えば、自分をほめてあげようと。

今週は、のほほんとしているけれど、仙人のような悟りを開いたこのお二人からの言葉を具体的に書き残しておくけれど、ラインやお電話をしながら支えになる言葉をたくさんもらえた1週間だったと思う。

私は本当に素敵な友人に怖いほど、恵まれすぎている。

そして自分自身を奮い立たせて(「きゃ」をしてるね…。まあ許そう)、朝に走りに行く習慣も2月ぶりに復活させることができた。
2月は5時台に起床して近所の決まったコースを走りにいって、しゃっきりとした毎日のスタートを切っていた。3月は遊びの予定を入れすぎたり、天気や体調を言い訳にしたりして、せっかく身についた体の巡りに不可欠な習慣を手放してしまっていた。

在宅期間の前半から積極的に散歩に出るようにはしていたけれど、走りに出るにはなかなか重い腰が上がらなくて。
でもいつだったかな、きっかけは何だったかな、あまり思い出せないけど。とにかく、公園までの2キロと公園内の2キロ、計4キロを楽しく走れるようになった。

公園内の景色があまりにも平和で、この光景を目にしている自分はもはや天国にいるのではないかという錯覚をおぼえるほどのものだった。
手を取り合う老夫婦、芝生の上で筋トレにはげむカップル、自主的に集まってダッシュを繰り返す部活仲間の中高生、わんちゃんをつれて楽しそうに大声を出している家族、歩き始めたばかりであろうちびっことゆーっくりとお散歩をする優しい空気に包まれた親子。
とにかく心を温めてくれるような、人と人とのきずなやつながりを目の当たりにすることができる空間、公園がそんなところへと変貌を遂げていた。
もちろん今までも同じような人たちが同じように過ごしていた場所だったかも知れない。

でも世界の現状を鑑みると、目に映るただの公園の景色はこれまでと全然変わってくるもの。苦しみや不安を抱えた人が多くいる中でのあの和やかな空気感は、何にも代えられない大きな癒しを与えてくれるものとなっている。

いつまでこうやって呑気にジョギングに出かけていられるか、なんていうこともわからないのが現実だけれど、いけるうちはあの空気感を堪能しに、そして自分の心身の健康のために、続けていきたい習慣だ。

気が付いてみれば今まで連続で3キロまでしか走ったことがなかった私。それがいまや4キロをにこにこ楽しみながら走ることができるようになっている。
もう少しだけペースを上げて軽く走れるようになったら、また一つ、走る距離を伸ばしてみることに挑戦してみようと思う。

友達の言葉、自分の運動、この2つの要素に加えて、私の人生にもう一つ明るい光を差し込んでくれる存在があって、今週は特にそれを大きく感じた時間を過ごすことができた。

「明るい光」さんとは毎日1~3時間平気でお話をしてしまっているんだけれど(不謹慎だから小声でしか言えないけれど、世の中のこの状況に実は感謝をしている)そのたびごとに私が人生の中で抱えている不安を、今の世の中に対する不安を、これから先の将来に対する不安を、ひとつひとつ丁寧にほどいていって、安心感を与えてくれるひとみたい。

あぁ、これ以上は今はなにもいわなくていいや。ただ留めておきたいのが、これまでに味わったことのないあたたかさとやさしさを与えてくれる人間だってこと。

 

これでお仕事に復帰できて、世界が落ち着けば、私の世界は完璧すぎるものになってしまうかもしれない。

 

きっとにんげんどこかで幸せになりすぎることを恐れて無意識にそうならないようにしている傾向があると思うんだ。

でも、幸せになりすぎることをどうか恐れずに、ひとつひとつのことをしっかりかみしめて感謝しながら、素直にもっと幸せを受けれていけたらいいな。今こうして考える時間をたっぷりと与えられている分、ゆっくりと心の準備ができる気がする。

 

3月半ばまで言っていたこと、この要素までそろってしまうとすべてのパズルのピースが揃ってしまう。

 

「揃ってしまう」なんていう言い方がよくないのよね。

 

単純に揃うだけ。そこからどうなるかなんていうのもわからないしね。

 

とにかく

今あるものに深く感謝して(特に家族や友人の存在そのもの、そして最前線で行動を起こしてくれている数多のひとたち、医療従事者、配達業の方も生活用品店関係の方も他にもたくさんの方々)

素直に私を囲んでくれる幸せを受け入れて

もっともっとハッピーに、

そしてかなえたいことを形にしていけるように。

 

この時間を決して無駄なものにはしないように。

 

 

 

 

 

f:id:the_littleworth:20200414205503j:image

「明るい光」氏監修、わたし製作スコ

ちょっと邪道?ブラックサンダースコときなこごまスコ。美味しかった〜!ナイスアイディア!