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この1週間、最高に自分を甘やかし最大限に自分だけのために、自分のハッピーだけのために時間をつくった。

いち日の中で文字を書き残す時間もしっかり作れた日が多かった。

 

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お休みの月曜日。思い出のオーバカナルにて

 

「懐かしい。」

 

ただただ懐かしい気持ちが溢れ出るような道を歩いた。

 

4年間通った大学。授業の合間の空き時間に時々立ち寄っていたお店。懐かしいルートでその道を歩いた。

 

このエリアは今も時々入る仕事で縁があり、来ないわけではない。ただ駅の近くにはいくけれど、大学の周りを歩く、なんていうことは物凄く久しぶりのことだった。

 

通っていた大学の建物を久しぶりに間近でみたときに、あぁここでの4年間はわたしにとって宝だった、心底そう思った。

 

キラキラした気持ちで迎えた入学式。これまでに出会えなかったタイプの人間と一気に出会えた場所。今でもずっとそばにいてくれる友達やもうなくなってしまった関係だけれど大切に思っていた人とも出会った所。

 

それより何より、自分の意思で入ることを選んだはじめての場所。それが今は大きい意味がある気がする。

 

幼稚園も小学校ももちろん自分の意思で選ばなかったし、受験をした高校と一貫の中学校も親に与えられた選択肢内のものだった。

その中での生活で習い事や部活、色々と入るコミュニティを選ぶことは確かにあったけれど、入る前々から強い意志をもって選んだものでは決してなかった。なんとなく、友達がやっているから、とか小学校のとき少しやっていたから、とか、そんな感じだった。

 

大学は違った。

 

高校2年生の時にオックスフォードに行き、やっとここで自我が芽生えたと思う、わたしの人生の場合は。

それまでの閉ざされた世界から一気に何かがぱっと開いて、いろんなものが見えるようになった。将来こうなりたいななんてことも考えられるようになった。

 

その時になぜか思ったんだった、あの大学に行きたいな、って。はじめは直感で大した理由もなかったけれど、直感をきっかけにどんどん調べたりその地に赴くようになって、憧れがどんどん膨らんで行ったんだっけな。

 

一度吹奏楽で挫折をしていて何にも頑張れなかったけれど、この大学に行く、と決めてからは勉強に対してしっかりと身が入ったんだった。

 

兄が国立の大学に行っていることもあり、保守的な両親には国立の大学に行って欲しいと言われていた。なんだろう、金銭面?勉強な面?(いろんな科目の勉強が必要だから)

 

でもわたしはとにかくこの大学に行きたくて行きたくて、もう、行くと心に決めていたから、親の言葉なんて一切耳に入ってこなかった。

 

それくらい強い気持ちがあったからそこに追いつく努力も一応できていたんだと思う。結果としてそれを叶えることができた。

 

入学してからの学びや思い出に触れ始めたらキリがないから今は書かないけれど、とにかく入学前に一年半ほど強く抱いていた意志とそこに向けての勉強が自分の中ではとっても大切なものになっていたんだ。

きっと自分が「芯がある」なんて言葉で形容してもらえるようになったのはそのあたりのことがあったからなんだと思う。

 

この大学に入りたいという気持ちで歩んでいた時の気持ちこそが宝で、大学の横を通った時に胸が締め付けられるほどの気持ちを構成しているものなんだな。

 

うんうん、何かをやりたくて思いっきり頑張っていた気持ち。それってすごく自分の中で大切で、これから先も大事にして行かなきゃいけない気持ちだ。

 

初心にかえることがだいじ、そんなのわかっている。

 

でもこうやって改めて初心に帰れる場所に身を置くことは、只ものじゃない、大きな力がある。

 

今日ここへきて本当によかった。

 

やりたいこと、それに向けてやらなきゃいけないこと。

 

うん、進んでいこう。

 

 

 

そしてそれがぶれそうになったとき、挫けそうになったときは、またこのルートを歩いて、いつものショコラショーをいつものテラス席でいただく。そうしていこう。

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(気分がとてもパリ)

 

 

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週半ばに書いた文

 

寛容と無関心について

 

言葉で並べると無関係のようだけど、そんな風に見えるこの2つって紙一重なもの同士なんだっていうことに考えを巡らせている。

 

大好きな友達から、とある早朝、こんな人と一緒にいられたらいいな、というリストが送られてきた。とある日の4時半。偶然にもわたしも早くに目が覚めていた。そのリストを見てすぐ、わたしも自分の感覚でおんなじようなリストを書いた。

 

「物事に対して肯定的」

で始まるともだちのリスト。

「寛容なひと」

で始まるわたしのリスト。

 

 

うんうん、まおちゃんもわたしも、近い感覚があるから、こうして隔週会っていても話題が尽きないし、共感し合えることが多い。

そんなわたしたちは2人とも、「受け入れる」ことを重要視していたらしい、無意識のうちに。

 

無意識と書いたけれど、わたしはここ最近、どんな人がタイプなのだとか、どんな人と一緒にいたいのだとか、そういった話題が上がると必ず頭にパッと「寛容」ということばが浮かぶ。

 

わたしはここ最近、相手がどんな人がいいかなって考える時、自分自身がそうでありたい像を挙げる傾向にある。

 

寛容であり、

夢がありそれに向かっていて、

愛をあらゆることのモチベーションにしていて、

穏やかでいるひと。

     

1番はこの、寛容さ。

 

いつから大事に思っているんだろうな。

 

周りの仲良くしてくれている人や尊敬できるひとを見渡すと、心が広くいつもいろんなものを受け入れている人ばかりだ。きっとそこから受けた影響だ。

あとは、なんでも広い心で受け入れてくれる人といた時期があったから、かしら。

 

ただ、この寛容、

「否定をしないこと」と履き違えるのはとても危険なことである。

 

例えば、「寛容」そうな人とお付き合いすることになったとする。

なんでも許してくれて、いつどこでだれと何をしていたってなんでもオーケー。文句ひとつ言ってこない。一見いいじゃない、といったところだけれど…

 

これはもしかしたら本当にその彼が寛容なのかもしれないし、はたまた『無関心』なのかもしれない。

 

広い心に見せかけて、大してわたしには興味がないだけかもしれない。

 

許すこと、受け入れること、とただ流すこと、

はたから見るとこの差って見極めることが難しいかもしれない。

 

でも仮に無関心だとしたらすごく虚しくて悲しくて寂しくて酷なこと。

大切に想い合う関係であるのならば、許しは無関心ではなく寛容さに基づいたものであるべきだと思う。

 

 

私のいう寛容さというのは、何でもかんでもオーケーオーケーいうことではなく、

相手がどういう筋で考えて、行動を起こしているか、それを認識し理解し、できるのであれば共感をし、そして、受け入れること、それだと思う。

 

 

無関心、つまり干渉しない、ということに目を向けていくと

干渉⇄放任

対になるこんな言葉が出てくる。

 

わたしは常に寛容でありたいと思っているし、もし将来家族ができれば、その人たちに対しても寛容であれればと望んでいる。

この時も、他の言葉の履き違えではなく確かに「寛容」でありたいと思う。

 

「許す」ことである寛容。

ただ無闇矢鱈に許すこと(というか流すとか、聞かない、とか)は私が望んでいるものとは離れている。 

子育てをする機会において、放任主義になりたいわけではない。

なんでもいい、のではなく、

この子にはこんな意志、希望、夢がある、

だからこの道を選ぶことが彼/彼女にとって良いサポートになる、

だから、この選択をすることを応援しよう、

そう考えられるようになりたい。

 

仮に、簡単に応援できない希望を抱いているようなことがあっても、頭ごなしに否定はせずに、まずはしっかりと聞き、どんな考えがあってそうなったか、果たしてそれが選ぶべき正しい道なのか、それを一緒に考えていける存在になることができれば。ただただそう思うのだ。

 

 

寛容さを持っていたい、こう改めて思わされたのは

自分が無意識下で、とある呪縛に支配をされていた、そんなことに今更気が付かされることがあったから。

 

支配。

 

わたしの考えのなかでは、寛容の対極にある最も恐ろしいもの。

 

今その支配に、ようやく意識がまわったのだ。

気がつくことができてよかった。

 

わたしにとっては大きな反面教師となる問題だ。

 

 

寛容さ、を間違えない、

 

自分は正しい寛容さを抱き続けて、

 

わたしの思う寛容さを持っているひとと、

 

時間がかかってでも近づくことができたら、それはそれはなんて嬉しいことだろうか。