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あけましておめでとうございます。

 

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ついに、新しいdecadeに突入。

(いきなり英単語を混ぜて気持ち悪いけど、日本語ですっきりと表せる言葉がないので。笑)

2019の終わりとともに2010-19の10年間を振り返って、いろいろな思い出を重ねてきたなぁと思った。

ただあくまでも過去10年は、家族や学校に守られた上で「つらい」「かなしい」「しんどい」思いをしていたのだ。ここからは全てを自分で受け入れて、対処して、乗り越えていかないといけない。

昨年の後半半分は自分ひとりで暮らしをするようになって少しずつそれを実感するとともにいい練習もできていた。

 

それにむしろ、ひとりで暮らしを切り盛りするほうが、身体の調子も心の調子も潜在意識でより慎重に気を使うようになっていた。

今までは、いきたくない時に学校休んだって自分の問題だし、仕事休んで減給になったって大した問題にはならなかった。

いまは、自分が職場に必要な存在でありたいから、責任を持ってその場に常にいたい思いがある。それに自分できっちり生活をやり取りするためにひとつひとつお金を使う用事に慎重になるし、稼げる分は確実に稼がないととも思いながら生きている。

 

大人としてこういうことはごく当たり前のことだけれど、身体があまり強くなく、こころもへなちょこのわたしにとってはなかなか今までできてこなかったこと。

 

着実に日々を生きる

 

こんなことしか言えないけど、私の今年、そしてこれから始まるdecadeの目標はこれ。

 

そんなことを書きつつ、新年は早速身体を壊していた。自分にとって受け入れられない食べ物を食べたことが直接的な原因だったけど、年末の心のバランスの乱れだとか単純な疲れだとか食生活の乱れだとかそういうものが間接的に積もって、症状が出てしまった。なかなかしんどかったな。

 

ただこうやって新年に気づくことができたおかげで、これから始まる1年は自分の体をより大切にしたいから、気がする。せめて意識だけでもね。

 

今年ひいた御籤は、ぱっとみると華やかで幸先の良いというものではない。ただ、自分に対する大事なメッセージを語りかけてくれている。

 

高飛車にならず自分をよく省みること。

周りのせいにせず自分自身がいかに工夫をできるか。いかなることにも当てはめていけることだ。

 

謙虚に…でも自信を持てるように努力を重ねる。そうありたい。

 

 

やはり巫女としてのご奉仕で始まる元日はとても清々しく気持ちの良いものだ。

装束を身に纏う、それだけでも物理的に背筋がしゃんとするし、もちろん心も、糊を張ったかのようにぴしっとなる。

 

深くお辞儀をして目を瞑って丁寧に何かを祈る参拝のお客様を真横に見て、すごく神聖ですごく温かな気持ちにもなる。

家族や大事な人を想うことに時間をかけているんだな、誰かのこんな様子を目にすることって稀なことだから、様々なことを考えさせられる。

 

日頃、電車の中や街の中の喧騒ばかりに触れていると、東京の人たちはキツく、冷たく、思いやりがなく、やりたいこともなく、恐ろしい操り人形のように見える。

でも、みんながみんな、いつもいつもそうじゃない。

誰もが、大切な人がどこかにいて、大切にしているものがあって、思いやりも心の中に持ち合わせていて、そういう人ばかりなんだなということを新年は感じることができるのだ。

 

そして尚、そういう人のやさしい部分をより引き出したい、そのためにお菓子や癒しの場を提供することをしていきたい、そう今年も思えるのだ。

 

 

今年は本当はこんな感情論ばっかりではなくって、これから最後に書き記すようなことを日記に残していきたい。

 

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「スコーン、すごく美味しかったです!2個ペロリと食べちゃいました!本当は3個目も買って行きたいくらい!」

ニコニコと素敵なことばを残していってくださったお客様がいた。

 

こちらが美味しいものを与えることで幸せを提供したいのに、あちらに幸せをたっぷりと頂いている。

 

天使のような人だった。

 

こちらに与えてくれた幸せが、何かもっと大きくなって彼女の心のもとに大きな幸せとして巡り巡っていきますように。

 

 

今年も「幸せをつくる」ことに貪欲に、いこう。